ジャンプ・ノベル × 少年ジャンプ+ スペシャルコラボ ジャンプ・ノベル × 少年ジャンプ+ スペシャルコラボ
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206/9/22 中国河南省 荊州(けいしゅう)新野城(しんやじょう)

 時震の影響でおかしくなった歴史を修正する。
 それが僕たち航時局歴史管理課、通称THRのお仕事。

 そんなわけで今回僕がやってきたのは、群雄割拠真っただ中の古代中国である。以前にも一度訪れたことのある、いわゆる〝三国志〟の時代だ。
「いやあミツキくん。久しぶりだべ。今日はゆっくりしていってなあ」
 目尻を下げて微笑む彼女は、この新野城の主だった。
 サイドに垂らした三つ編みに、純朴そうな目鼻立ち。身に付けているのは、袖の部分がゆったりと長く膨らんだ漢服だ。肩や太ももが露出しているのが少し色っぽい。
 一見してコスプレ中の田舎の女学生のようにも見える彼女だったが、これでも世に覇を唱えようとする武将のひとりである。そう。彼女こそ、後の世で蜀(しょく)の皇帝として立つことになる人物、劉備(りゅうび)玄徳(げんとく)さんなのだ。
「かつての命の恩人と酒を酌み交わす。これは素晴らしいことだべよ」
 劉備さんは筵(むしろ)にぺたんと腰を下ろし、盃をあおっていた。お酒はあまり強くないのか、顔がもう真っ赤になっている。どこか暢気そうなその雰囲気は、以前に会ったときのままだ。
「驚きましたよ。いつの間にやらこんな立派なお城に住むようになってたんですね」
「んだなあ」劉備さんは照れ臭そうに後ろ頭を掻いた。「あたしが出世できたのも、ミツキくんたちのおかげだべ。あんとき虎牢関(ころうかん)で義妹(いもうと)たちを助けてくれなかったら、今頃どうなってたかわかんねえなあ」
 以前彼女は、時震トラブルに巻きこまれていたことがあったのだ。三国一の武将、呂布(りょふ)奉先(ほうせん)との戦闘で危機に陥っていたのだが……まあそのあたりの詳細は、僕たちTHRの過去の活動記録を参照してもらいたい。あの呂布奉先に一騎打ちを挑む、ミツキくんの勇姿をお楽しみいただけるだろう。(嘘は言っていない)。
 劉備さんがニコニコ顔で盃を掲げた。
「今夜はパーッと食うといいべよ。城で一番の料理人に腕を振るわせたべ」
 彼女の言う通り、僕の座席の前に供されていたのは大変に豪華なご馳走だった。
 柔らかく煮こまれた牛肉のスープに、脂の乗った魚の焼き物。照り焼きにされたソテーは合鴨だ。一口大にカットされた梨も、実に甘くて瑞々しい。
 なんというか、無茶苦茶歓待されている雰囲気だった。さすが仁徳に溢れた武将、劉備玄徳さんである。義理堅いなあ。
「しかし、不思議なもんだべ」劉備さんが首を傾げる。「あの虎牢関攻めからもう何年も経っとるのに、ミツキくんは全然変わっとらんべ」
「ええまあ。僕にとっては数か月ぶりくらいですからね」
「ああ、なんだっけ。〝たいむぽーと〟だったべか? よくわからん話だよなあ」
「あはは」と苦笑する。時空移動(タイムポート)だとか並行歴史(パラレルワールド)だとか、さすがにこの時代のひとにそういうSF概念を理解してもらうのは難しいだろう。
 僕は「というか」と話を変えることにした。
「劉備さんの方は、結構お変わりになりましたねえ」
「んだべ。あんときは下っ端の兵隊だったけんども、今じゃ城持ちの武将だからなあ」
「身分もそうですけど……その、主に胸のあたりが御立派に成長されたようで」
 そうなのだ。数年間の月日は、少女を大変グラマラスな女性に変えてしまったらしい。
 僕の視線は、劉備さんの着物の胸元に釘付けになってしまっていた。
 前に会ったときにはさほどの大きさでもなかったはずなのに、今では着物の胸元がはちきれんばかりの巨乳になっていらっしゃる。あの奉先にも勝るとも劣らないサイズだ。
 なにがけしからんって、胸以外は劉備さんもさほど変わっていないという点だ。相変わらず童顔で小柄。全体として素晴らしくアンバランスな魅力に溢れている。ロリ巨乳万歳である。
 劉備さんが、「いやあ」と、小さく笑みを浮かべた。
「最近、あたし運動不足で、ちょっと太っちゃったみてえでなあ……。義妹たちにもよくからかわれてるべよ」
「器用に胸だけ太るなんて、世の女性からすれば垂涎の的だと思いますけどね」
「これじゃ弓も引けねえんだけどな」劉備さんが苦笑いを浮かべる。「戦のために少しは痩せなきゃとは思ってるべよ。近々、北から曹操(そうそう)が攻めてくるかもしれねえからな」
 曹操というのは確か、劉備さんにとっての終生のライバル武将である。話を聞くに、今では皇帝を傀儡として権力を握り、圧倒的な存在になっているのだという。
「敵はどんどん力を付けてるっていうのに、あたしはブクブク無駄肉を付けてるだけなんてな。情けない話だべ」
 劉備さんが「ははは」とため息交じりに首を振る。顔こそ笑ってはいるものの、結構気にしているご様子だ。
 正史においてもこの時代の劉備玄徳は、戦で活躍する機会になかなか恵まれず、ぜい肉が増えてしまった身体を嘆いていたという。いわゆる故事成語に言う、『脾肉(ひにく)の嘆きをかこつ』というエピソードである。
 時震のせいでそれがなぜか、おっぱいの成長の話にすり替わってしまったようだけれども。
 僕は「実はですね」と口を開いた。
「今回は僕、そんな劉備さんの運動不足解消をお手伝いするために来たんです」
「え、そうだったんか」
「劉備さんが運動不足になっちゃったせいなのか、なぜか歴史変異率が上昇しちゃってますからね……。THRとしては、劉備さんが武将としてちゃんと前線に戻れるよう、リハビリのサポートをするつもりなんです」
 ううむ、と劉備さんが深く頷いた。
「そうだよあ……。最近机仕事が多くて、めっきり外に出る機会も減っちまってたけど、ここらでちゃんと勘を取り戻さねえといけねえべなあ」
「トレーニングには専属コーチを呼ぶ予定ですから。どうかよろしくお願いします」
 僕が深く頭を下げると、劉備さんは「わかったべ」と頷いた。
「いい機会だ。それじゃあ、よろしく頼むことにするべ」
「了解です。任せてください。責任もって僕たちが劉備さんの運動不足解消に努めます」
「とはいえだ」劉備さんが盃を置く。「あたしも武将なんて言われてっけど、そこまで体育会系じゃねえからな。リハビリはお手柔らかに頼むべよ。ミツキくん」
「あはは……いやまあ、お手柔らかに済むかどうかは、コーチ次第なんですけど」
 僕は曖昧に言葉を濁した。あの子にコーチを任せる以上、「お手柔らか」で済むはずがないことはわかりきっていたからである。

206/9/24 荊州陸中(りゅうちゅう) 山道

「テメェこらぁ! たらたら走ってんじゃねえ! それでも大将か!」
 閑散とした登山道に、少女の怒号が響いた。
 長い黒髪はツインテール。竹刀を肩に担いだこの美少女は、かつてこの時代で三国一の〝武力〟を誇っていた武将、呂布奉先である。
 劉備さんの専属コーチとしてやってきた彼女の装いは、なぜか体操着とブルマーにジャージを羽織ったスタイルだった。本人いわく「スポ根っぽくていい」らしい。
 アリスあたりの影響なのだろうか。この武将娘、THRで過ごすうちにすっかり現代に染まっていたのだった。
「はあ……はあ……。も、もう無理だべ……」
 よろよろと山道を駆け上る劉備さんも、奉先と同じく古式ゆかしいブルマー姿だ。
 もっとも彼女の方はすっかりと息を荒げ、疲れた顔で肩を大きく上下させている。体操服も汗でびしょ濡れになり、肌に張り付いてしまっていた。ちょっと目のやり場に困る。
「な、なあ……。休憩……休憩させてくれねえべか……」
「ああん?」奉先が劉備さんを睨みつける。「たかだか山道を二往復しただけじゃねえか。まだバテるには早すぎるだろ」
「そ、そっだらこと……言われても……」
 自然の中で運動をしよう。ということで僕たちは、お城から少し離れた山を訪れていた。森と岩だらけで、ほとんど人間の気配は無い場所である。ここならば周囲の喧噪に悩まされることも無く、落ち着いてリハビリに励めるだろうと踏んだのだ。ちなみにこの山道、地図アプリによれば麓から山頂まで十キロほどの道のりである。結構な傾斜があることを考慮に入れれば、二往復でもフルマラソンより疲れそうだ。
 それをこの奉先と来たら「あと五往復は行けるだろ」なんて平気で言っちゃうのだから恐れ入る。予想以上の鬼コーチぶりだった。
 脇で見ていた僕も、思わず「あのさあ」と口を挟みたくなってしまったくらいだ。
「劉備さんブランクあるっぽいし、適度に休憩を挟みつつやった方がいいんじゃないの?」
「それは甘いぜ隊長さん。修業ってのは、自分の限界を突破してなんぼだろ」
「いや、修業じゃなくてこれリハビリだし……」
「何言ってんだよ。もっと熱くなれよ。熱い血を燃やして行けよ……! 人間熱くなったときが本当の自分に出会えるんだよ! 諦めんなよ!」
「そんな、どっかのテニス選手みたいな煽り方をされても」
 はあ、とため息をつく。
 コーチとして呼んだはいいものの、どうにも奉先はスパルタに過ぎる気がする。世の中の人間は、そんな熱い血潮を持つ超人ばかりではないのだ。
 劉備さんも息を切らしながら、近くの木の幹に手を付いてしまっているくらいだし。
「もう無理だべ……膝がガクガクいっとる」
「おいおい大将。体力無さすぎじゃねえのか。そんなんで曹操軍に勝てるのかよ」
 劉備さんを見下ろし、奉先が肩を竦めた。
「もういっそ、あたしがあんたの代わりに軍を率いてやろうか」
「え」劉備さんが眉をひそめる。
「あたしも曹操とはまだ決着付いてなかったしな。この機会にブチのめすも面白え」
「それはダメでしょ」僕は即座に首を振った。「奉先が全力で暴れたら、曹操を倒すどころかそのままひとりで三国統一しそうだし……。これ以上歴史をおかしくしちゃうのは、THR的にアウトだからね」
「冗談だって。わかってるよ」奉先が大きな口を開けてケラケラと笑う。
 本当にわかってるのかなあ、この武将娘。
「あたしらに出来ることは、この劉備の大将を鍛え直すことだけだからな」
「いや……もうほんと、勘弁……一歩も走れねえべよ……」
 劉備さん、顔が引きつっている。完全に限界に達しているという様子だった。
 奉先も「しょうがねえな」と首を振る。
「んじゃ、ダッシュはひとまず中断。腹筋トレーニングに行こう」
「ふ、腹筋だべか……、まあ、それくらいならなんとか」
 劉備さんは地面に腰を下ろそうとしたのだが、そこで奉先が「待った」と声をかける。
「いや。普通に腹筋したんじゃ効果は薄いからな。もうちょっと難易度上げようぜ」
「どういうことだべ?」
「ええとな。まず隊長さんがこういう姿勢で――」
 奉先の説明を聞いて、僕と劉備さんは顔を見合わせた。何言ってんだこいつ、と。

 で、奉先に言われたとおりの腹筋トレーニングを始めたわけだけれども。
「こ、この体勢……予想以上にキツイ……!」
 劉備さんが両手を頭の後ろで組み、太ももで僕の胴を挟んでいる。そして、そんな彼女の身体が地面に付かないよう、僕が劉備さんの腰を抱えて持ち上げている――。なかなかにエクストリームな姿勢だった。
「ようし、いいぜ。そのままの姿勢から、大将が上半身を起こすんだ。簡単だろ?」
 これを簡単だと言える人間が、この世の中で奉先以外に何人いるのだろう。激しく問い詰めてやりたい。
「ミ、ミツキくん。あたし重くないべか?」劉備さんが僕を見上げる。
「い、いや。大丈夫ですよ? 劉備さんは基本的に小柄ですし。一部を除いて」
 そう強がってはみたものの、僕の腕はぷるぷる震えていた。
 確かにこれは難易度が高かった。何がキツイって、持ち上げている方にも相当な筋力的負荷がかかる点だ。
「なんかこれ、僕の筋肉まで鍛えられそうな気分なんだけど」
「ついでに鍛えりゃいいじゃねえか」奉先が応える。「いつの時代も強い男はモテるもんだ。隊長さんがムキムキになれば、フレドリカ姐さんだって、『キャー素敵! 抱いて!』って言ってくると思うぜ」
 あまりにもいい加減な話だった。筋肉ひとつでフレドリカさんを落とせるなら、僕はこんなに苦労していないのだ。
「そんじゃ大将、ほら身体持ち上げて」
 奉先に促され、劉備さんが「ふんぬっ」と気合いを入れる。姿勢的に相当キツイのだろうが、それでも彼女は根性を見せた。顔を真っ赤にしながらも、ゆっくりと上体を起こしてきたのだ。
「うおう……! す、すごいですね。劉備さん!」
「そ、そうだべか……! あたし的には、いっぱいいっぱいだけんどもっ……!」
「いやその、胸がすごいです……!」
 眼前に近づいてくる豊満な双丘を見つめながら、僕は生唾を飲みこんでいた。
 この体勢、よくよく考えればものすごく破廉恥な気がする。女の子の腰を抱え上げた状態で正面から向き合うって、いわゆる駅舎におけるお弁当売り的スタイル――。
「んっ……、も、もう一回いくべよっ……!」
 劉備さんはキツそうに息を荒げ、その汗に濡れた体操着はバストを若干透けさせてしまっている。抱えた太ももはムッチムチだし、こうして密着しているだけで彼女の体温は次第に熱くなっていく気がする。
 ううむ……これ、僕ら本当に筋トレしてるんだよね? 違う何かをしているような気分になってしまうのはなぜだろう。
「ん、はあっ……いち、にっ……いち、にっ……!」
 劉備さんが上体を起こすたびに、その巨大に成長したおっぱいはぷるんぷるんと揺れ動いていた。なんというエロティシズムに溢れた光景なのだろう。ちょっとだけ触ってその弾力を確かめたいと思ってしまうのは、もはや男子の性なのだろうか。辛抱たまりません……!
 腹筋中の劉備さんが、言いにくそうに「ええとな」と口を開いた。
「あ、はい。な。なんでしょう」
「その……腰の、それ。どうしても気になっちまうんだけども……」
 言われて視線を下に落とすと……あらびっくり。
 股間のミツキJr.くん、ズボンの中でギンギンにテントを張っていたのだ。劉備さんのブルマーに密着し、いまにも食いこまんばかりの様子。実に荒ぶっている。
「こ、これは失礼しましたっ!」
「マジかよ隊長さん」奉先がニヤニヤと僕の顔を覗きこんできた。「劉備の大将が真面目に筋トレしてるってのに、不埒なことでも考えてたのかあ?」
「ふ、不埒って……」
「いくらおっぱいフェチとはいえ、節操なさすぎだろ。大将も困惑してるじゃねーか」
 当の劉備さん、僕の肩に手を回し、Jr.をじっと見下ろしている。これまでとは違う意味で顔が真っ赤になっていた。
「し、しばらくぶりに見たけども、ミツキくんはやっぱり元気いっぱいだべな」
「すみません。ホントすみません。聞き分けの無いJr.でして」
「ま、まあ、あたしなんかで興奮してくれたんだべ? 嬉しくないわけじゃねえけども」
 あたしなんか、とは言うけれど、そのおっぱいを至近距離で目の当たりにして興奮しない男はいないと思う。
 さすが劉備玄徳さんだ。人心を惹きつける魅力に溢れていらっしゃる。
「そうだ」奉先が口の端を歪めた。「いっそこのまま、下半身を使った運動に移行しようか」
「か、下半身を使った運動ってなんだべ?」
「端的に言えば、ピストン運動だな」奉先さん、端的に言い過ぎだった。
「ちょ、ちょっと何を言ってるの奉先⁉ 冗談でしょ⁉」
「冗談言ってるつもりはねえよ? その手の行為は、一回あたり三十分のジョギングと同じくらいカロリー消費するからな。セロトニンやらドーパミンやらも分泌して肌が若々しく保たれるし……。現代じゃ積極的にダイエットに取り入れる連中も多いんだぜ」
 なぜか奉先、僕以上に現代のダイエット事情に詳しい模様。無駄に頼もしい。
「いや、でもこんな日の高いうちからお外でなんて……ねえ?」
「あ、あたしは別に……まあいいけども」
「え、劉備さん。今なんと?」
「ミツキくんさえ良ければ、試してみてもいいべよ?」
 なんと劉備さん、恥ずかしがりながらそんなことをおっしゃる。天下統一を目指しているだけあって、意外にも大胆なことを言うひとだった。
「ほら隊長さん、どうすんだよ。据え膳食わぬはってヤツだぜ?」奉先が笑う。
「え、ええと……」
 僕はごくりと生唾を飲みこみ、劉備さんの顔と、それから存在感満点の彼女の胸元を交互に見つめることしか出来なかった。
 いったいどうしろと。

 そして数十分後……。
 僕は激しい運動によって息を荒げていた。
「はあ……ふうっ…! ぜえっ、ぜえっ……!」
 当然ながら、奉先の言うようなエロティックな運動に励んでいるわけではない。山道を全力疾走しているのだ。Jr.の昂ぶりを押さえ、心頭滅却するために。
「まったく……隊長さんも、ときどき妙にヘタレだよなあ」
 僕の後ろを付いて走る奉先が、そんな軽口を叩いてきた。
「劉備の大将だってOKっぽい雰囲気だったんだから、素直にヤッちゃえばいいのに」
「劉備さんがOKでも、作品のレーティング的にアウトなの! WEB短編で色々やると、偉いひとに怒られちゃうの!」
 奉先が「なんだそりゃ」と首を傾げていた。
 実は僕もよくわからないのだが、前にアリスがそんなことを言っていたのだ。きっと宇宙の真理だろう。
「っていうかさ」僕は後方を振り返った。「その劉備さんだけど、さすがにそろそろ切り上げてもらった方がいいんじゃないの?」
 彼女は僕たちの五十メートルくらい後方を、フラフラと走っていた。足取りはもつれ、表情はどこか虚ろである。誰の目にも限界は明らかだった。
「あ、倒れた」奉先が指をさす。
 ついに力尽きてしまったのだろう。劉備さんは、べちゃりと山道にうつ伏せになってしまった。気を失っているのだろうか。白目を剥いて泡まで吹いている。
「あー……。やっぱ山道ダッシュ三週目はキツ過ぎたかな……」
「呑気に言ってる場合じゃないよ奉先。早く助けなきゃ」
 僕たちが踵を返そうとしたそのとき、倒れた劉備さんに近寄る人影があった。
 小柄な女の子だ。体格は小学生くらい。文様の入った裾の長い着物をまとい、白い羽扇を手にしていた。不思議な風体の少女だ。
「何者だ、あの子?」奉先が首を捻る。
「さあ……?」
 彼女は劉備さんの傍で腰を下ろし、手を差し伸べていた。どうやら劉備さんを助け起こそうとしているらしい。
 人里離れた山の中に、どうして突然あんな小さな女の子が現れたのだろうか。
 ふと周囲を見回してみると、林の中に小さな木造の建物が見えた。庵のようなその建物の軒先からは、ゆらゆらと細い煙が立ち上っている様子が窺える。
「あそこに住んでる子かな」
「そうかもしれねえな……。しかしこんな人気のないところに住んでるなんて、ずいぶん変わったガキだけど」
 そんなことを呟きながら、奉先が女の子に近づく。
「悪いなお嬢ちゃん。うちの連れが迷惑かけちまって」
 彼女はふるふると首を振った。
「…………」少女は僕たちに向かって、何事かををぼそぼそ喋っている。
「え、なに?」
「…………」
 何を言っているのだろう。この女の子、声が小さくて話している内容がよく聞き取れない。引っ込み思案な子なのか、こちらとあまり目を合わせようともしないのだ。
 奉先が少女の口元に耳を寄せる。彼女の言葉を聞き取ろうとしているのだ。
「ええと、『このひとが何度も道を往復していたから、気になっていた』と?」
 奉先が繰り返すと、少女がこくりと頷いた。
 どうやらこの子、劉備さんの山道ダッシュを家の中から覗き見ていたらしい。それで急に倒れたものだから、慌てて飛び出してきたのだそうだ。
「『その方の手当をしてさしあげましょう。どうぞ我が家へ』……。ふむ。なんだお前、結構いいヤツじゃねーか」
 奉先に褒められ、女の子は首をぶんぶんと横に振る。「困ったときはお互い様です」とでも言っている雰囲気だった。
「んじゃ、お言葉に甘えさせてもらおうかな」
 奉先が劉備さんの身体を起こし、肩を貸すようにして担ぎ上げる。
「そんでお嬢ちゃん、お前、なんて名前なんだ?」
「…………」
「ええっと、『諸葛亮(しょかつりょう)』? 『字(あざな)は孔明(こうめい)』……? ふーん、どっかで聞いたような名前だな」
 奉先の言葉に、僕は「え」と耳を疑った。
 諸葛亮孔明って、この子が? 
 あの三国志きっての天才軍師が、この小さな女の子?
 つい呆気に取られてしまった。今僕たちの目の前で行われているのは、後の世で蜀の皇帝になる人物と、その懐刀である軍師との運命の出会いのだ。
 奉先は事の重要性に気づいていないようで、
「隊長さんはそこで待っててくれ。あたしは大将を、この子の家の中まで運んじまうからさ」
「う、うん」
 驚きのあまり、僕は奉先にそんな生返事を返すことしかできなかった。
 やはりこれも時震の影響なのか。かの天才軍師が、まさかあんなに大人しそうなロリっ子と化してしまうとは……。八巻(やまき)あたりが知ったら大歓喜しそうだ。
「だとすると、これがかの有名な、『三顧の礼』……?」
 一国一城の主だった劉備玄徳は、当時まだ無名だった諸葛亮孔明を迎え入れるために三回もその居所に足を運んだという。社会的な上下関係に捉われず、有能な者にはそれ相応の礼を尽くすのが大事である――という教訓めいた故事成語として、現代にも残っている話だ。
「もしかして、山道ダッシュ三周分がそれに代わったとか……。いや、まさかそんな」
 得てして不条理が起こりうるのが時震という現象である。
 ふと僕は、手首のタキオンウォッチをタップし、歴史変異率を調べてみることにした。
 するとビックリ。ゆるやかに数値が安定に向かっていた。これも、劉備さんと先ほどの女の子が出会った結果なのかもしれない。
「事態解決のための目的を、僕が取り違えていたってことか?」
 時震の影響で、劉備さんが過度の出不精になってしまった。それが問題の根幹だったことは間違いない。しかし、彼女を運動させることは大して重要なことではなかったのだ。
 劉備さんをこの場に連れ出し、孔明ちゃんとの出会いをサポートすることこそが、今回僕たちが目指すべき目標だったのである。
「的外れもいいとこだった……。腹筋意味なかったじゃん」
意図せずにこの結果に至ったものの、タイミングがずれていたら大変なことになっていたかもしれない。歴史が大きく変わり、宇宙崩壊の危機に繋がっていたかもしれないのだ。
「まあ、結果オーライだったのが救いかなあ……」
 庵に向かう彼女たちの後姿を見つめながら、僕はほっと胸を撫で下ろしていた。

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