ジャンプ・ノベル × 少年ジャンプ+ スペシャルコラボ
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 二日続けての甘党は、『あずらえる』で働き始めて四か月目にして初めてのことだった。

 これが確変ってやつ?

 もっとも、その前に麻耶は、二人の辛党を相手にしなければいけなかった。

 最初に声を掛けてきたのは、左の鼻の穴から太い毛を一本ぶら下げたスーツ姿の男だった。符牒は出てこなかったので、ファミレスでシーザーサラダをつつきながら、割り切りをほのめかす鼻毛男をのらりくらりと交わして一時間を潰した。

 美味しいティラミスはどこですか?

 その一言が無ければ、麻耶の接客はしょっぱい。

 開口一番、「カラオケに行かない?」と誘った二人目の客の前では、マイクを渡された数だけ赤とんぼを歌った。評判倒れのハリウッド映画を観たような渋面を張り付けて、二人目の客は背中を丸めて通りの人混みへ吞まれていった。

 相場よりも割高な価格設定は辛党避けのためであったが、期待に胸ならぬ股間を膨らませる客を呼び寄せるデメリットも否めなかった。

 甲高い声が上がったのは、今日はボウズかな、と麻耶が考え始めた頃だった。

「あのう ティラミス、じゃなかった違う違う」

 なにこの生き物。

「美味しいティラミスはどこですかあ?」

 お嬢様校として名高いK女子高校の白い制服を着た、ぜいにくの上に贅肉を着こんだ肉団子が麻耶の前に立っていた。

 頰肉にめりこんだ眼鏡の下に細い亀裂が走っている。あ、これ眼か。震えが起こる寒さだというのに、異様に狭い額からも、車にかれたイボガエルに似た鼻の下からも、玉の汗が絶え間なく噴き出している。ぱんぱんに膨れた顔には気持ち悪いくらい陽気な笑みが浮いている。首筋にもでっぷりと肉が巻きつき、のどあごの境界線は消えていた。肩甲骨まで伸びた髪は枝毛だらけで、頭頂付近は皮脂でてらてらと光っている。

 鏡餅にボンレスハムを四本接いだような肢体を包みこむ制服は、破けやしないかと見てるほうがはらはらするくらいパツンパツンに張り詰めている。足元は黒くすすけたスニーカーで、そこだけ詰めが甘かった。

 てか、この人って男? それとも女? 新種の生物の性別鑑定は承っておりませんが。

「美味しいティラミスはどこですかあ?」

 肉団子の口から、二度目の符牒が飛び出す。

 五十万円です、と麻耶がマニュアル通りに返すと、肉団子は「これで俺と、じゃなかった、私とデートしてくださあい」と、信販会社のロゴが入った封筒を突き出した。

 はい、喜んで。

 前金を受け取り、嘉神の店へ向かう最中で、麻耶は推察する。

 男の確率、七十パーセント。

 肉が厚すぎて骨格は判らなかったけど、立ち方が男っぽい。うっかり自分のこと、俺って呼んでたし。けど、一人称が俺の女もたまにいるからなあ。

 肉団子の性別当てに気を取られ、裏口へ回るという意識がすっぽり抜けていた。

 あ、と気づいた時にはもう遅く、正面扉を押し開けてしまっていた。

 店の中には珍しく客の姿があり、麻耶に背を向けるかつこうえんいろのアームチェアーを熱心に品定めしていた。その傍らに立つ嘉神が、麻耶たちへほとんど向ける機会のない寿がおを惜しみなく蔵出ししている。

「では、この椅子に座っていた時に殺されたと」

「左様でございます、お客様。事件発生は一九六三年九月七日、場所はバーミンガムの民家。犯人はその家で親と同居していた道楽息子。ほうとうを父親にとがめられて頭に血が上った末、ナイフで胸を一突きでございます。ファブリックは事件当時のままですので、家長の血液シミがそっくり残っております」

 しとやかでいんぎんに、しかし過度なへつらいは挟まない絶妙なさじ加減で商品のプロフィールをすらすらと並べる嘉神の目が、麻耶の姿を捉えて尖る。客はアームチェアーに釘づけで、麻耶の入店には気付いていない様子だった。

 客付いたの? じゃあお金置いてとっとと出てきなさい。

 嘉神に目配せされ、麻耶は足音を忍ばせてカウンターへ封筒を置き、店を出た。

 物好きもいるにはいるんだな、と麻耶は思う。

 嘉神が扱うヴィンテージ家具は、そのほとんどがいわくつきである。

 強盗に惨殺された家人の鮮血を浴びた仙台だん。孤独死した老人の腐汁を吸い続けた猫脚ベッド。薬物で錯乱した男が燃え盛る炎に頭を突っこんで果てるのを見届けた暖炉。目付きが鋭い虎に飛沫しぶきと刀傷が残るついたて。通り魔に両乳房をえぐられた貴婦人が身に着けていたブローチ。拳銃自殺を遂げた老教授ののう漿しようと血を浴びた洋灯ランプ

 売り物の一つ一つには、どんなを使って入手したのであろうか、鑑定書代わりの現場写真が添えられている。

 ここの家具を買って、何に使うんだろ。

 チェストに腰掛けるダメージドールがショーウインドウ越しに、麻耶を冷たく見送った。

 デート通りへ戻ると、肉団子は破顔したまま突っ立っていた。

「お散歩の前に、やってほしいことがあるの」

 麻耶は小型のツールナイフを取り出し、肉団子の丸々した右手に握らせた。

「これであたしに、どこにでもいいから傷を付けて」

 合点がいかず戸惑いの眼差しを向ける肉団子に、麻耶は重ねて言う。

「そうじゃないと、たぶん望み通りのサービスはできないから」

 引き出したナイフの刃を肉団子は凝視していたが、やがておずおずと切っ先を麻耶の右手の甲へてがった。

 小刻みに震える鋭利な刃が、傷に覆われた麻耶の白い肌に赤を刻む。

 表皮をごく浅く切っただけではあったが、毛細血管に傷をつけ、チリっと痛みを走らせるには十分な深度だった。滲み出る赤黒い血を麻耶は満足げに確かめ、うさぎのイラストがプリントされた絆創膏を傷口に貼る。

 かちり

 歯車の嚙み合わせが切り替わったような感覚が、体の奥に生まれた。

「よっし、それじゃ行こっか

 麻耶の猫顔に、十年来の親友に見せるような笑みがぱっと咲く。

「お散歩の時間は無制限。死にたくなったらいつでも教えてね」

「どうしたの、急にそんなに明るくなって。まるで別人みたい」

 豹変した麻耶に、肉団子の戸惑いは消えるどころかますます濃くなる。

「細かいことはいいからさ。ほら、笑ってみなよ。しくなくても笑っていればそのうち本当に楽しくなるからさ」

 麻耶の笑顔が強張った肉団子の表情を叩きほぐす。丸々と張り出した頰肉が引き上がり、細い目の尻にしわが刻まれる。くすんだ薄い唇が開き、隙間だらけの歯並びが丸見えになる。ものの数分で、満面の笑みが肉団子の顔に蘇った。

「ははははは、ほんとだ、楽しくなってきた ははははは

「あはは、じゃあそろそろ出掛けようよ」

「うん そんで、どこに行く? どこ行く?」

「コースはそっちが決めてよ。最後の夜なんだからさ、すぐに死んじゃうのはもつたいないよね。パーッと遊んじゃお

「うん、そうだね 遊ぼ遊ぼ

 キャッキャとはしゃぐ肉団子と並んでデート通りを練り歩く。すれ違う通行人のぶしつけな視線が、麻耶と肉団子へ突き刺さる。中年男と他の店のデート嬢がさっと身を引き、道を譲ってくれた。なにこれ楽しい。麻耶のテンションはいやうえにも高まる。

「ねえねえ、それってK女の制服だよね? どこで手に入れたの?」

「ネットオークション。高校に行かなかったから、この制服を着て友達と街を歩くのが、ずっと夢だったの」

「そっか、夢かー」

 女子高生の真似事と青春の追体験、肉団子が叶えたいのはどちらなのだろう。

「よし、じゃあ今夜のテーマは、放課後お遊びにしよう

「放課後お遊び?」

「学校帰りに友達同士で遊びに来た、てシナリオね。それとも、友達はいや?」

 麻耶が訊ねると、肉団子は頭をじ切らんばかりの勢いで、ぶんぶんと首を振った。

 雑貨屋でお揃いのシュシュを買い、アイスクリームショップで新作フレーバーに舌鼓を打ち、ゲームセンターでクレーンゲーム。肉団子は肉団子のくせに、クレーンさばきが巧みだった。麻耶のリクエスト通りに次々と景品をゲットする。千円札一枚を使っただけなのに、麻耶の両手は抱えきれないほどのぬいぐるみで山盛りになった。

「ちょ、ヤバくないこれ? こんだけるの、あたし初めて見たよ

 麻耶が褒めそやすと、肉団子は得意満面で胸を反らす。

 この反応は男だな。確率九十九パーセント。

 カラオケへれ込み、店員の「あんた、さっきも来なかったっけ?」と言わんばかりの視線を受け流す。

 肉団子は二時間でピザ二枚と焼きそば二人前にハニートーストを丸ごといつきん、デザートに特大パフェをぺろりと平らげ、ジョッキ入りコーラをがぶがぶ飲んで喉に湿り気を与えながら、首を絞められたネズミの断末魔よろしくきりきりと細い裏声でアニメソングばかりを二十曲余り歌い通した。麻耶はその間、ストレートティーを口にしただけでマイクを持たなかったし、肉団子がマイクを譲る場面もまた最後まで訪れなかった。

 肉団子がもじもじと切り出したのは、カラオケ屋を出た直後だった。

「行きたい場所があるんだけど」

 時はきたれり。いざ生きめやも。

 最期の場所へは電車で向かいたい、と肉団子が続けて乞うた。

 現役女子高生と女子高生もどきは、通行人がげんそうな顔を向けるのにも構わず、ぺちゃくちゃとお喋りしながら、デート通りを抜けて最寄駅へ向かう。

「本当、最高に楽しい こんなの初めて。麻耶ちゃんのお陰だよ」

 駅前のスクランブル交差点で、肉団子があごにくをぶるぶると震わせながら声を弾ませた。その後頭部では、ピンクの花柄をあしらったシュシュが揺れていた。

「あたしも楽しかったよ」

 麻耶の後ろ髪も、同じ柄のシュシュでれいにまとめられている。歩く度に、ぬいぐるみをぱんぱんに詰めこんだ紙バッグが太腿に当たるのがうつとうしかった。

 駅に着くなり、肉団子の足が切符売り場へ向かった。麻耶が「ICカードは?」と訊ねると、「ずっと家にいたから」と肉団子は消沈した声で返した。

 帰宅ラッシュはとうに過ぎていたが、それでも構内は人でごった返していた。ジェルで固めた頭、脂ぎった禿とくとう、夜会巻きの頭、バーコード頭、モヒカン頭。黒髪、茶髪、赤髪、青髪、金髪、緑髪。無数の頭がうぞうぞと行き交う。

「麻耶ちゃん、今日はありがとね」

 連絡通路からホームへ続く階段を下りがてら、肉団子が礼を述べた。

「麻耶ちゃんが、ううん、『あずらえる』が無かったら私、家の中で干からびてたかも」

「お礼なんて、いいよ」

 階段を降りきった先にも、スマートフォンを眺めたり、連れ合いと会話に興じたり、めいめいの時を過ごす人の海があった。麻耶と肉団子は人波を搔き分け、白線の近くまで歩み出た。

「私ね、親に捨てられたの」

 肉団子の声色は、そうからうつへと落ちていた。

「高校も大学も行かず、仕事もしないで部屋に引きこもってたんだけど、先月ね、親が出て行ったの。もうこの家も売却済みだから、お前も身の振り方を考えろってさ。どうなのよこれって。どこに引っ越したかも教えてくれないし、電話番号も変えやがるし。こんな投げっぱなしで息子を外の世界へ放り出すって、親としてどうなのよ」

 甲高かった肉団子の声が、じわじわ濁っていく。

「これまでさあ、さんざん俺を甘やかしたのは誰だって話だよ。乳母おんばがさで放ったらかして、ケツを叩くことすらしなかったのに。ある日突然自立しろなんて言われても、今更独り立ちなんて不可能だろ。動物園で生まれてぬくぬくと育てられた鹿がいきなり森に放たれて、生きていけるかよ。餌の探し方すら教えてもらってないのにさあ。クレカ一枚渡しただけで、親の責務を全うしたなんて思ってんじゃねえよ、くそどもが」

 口をくどす黒いえんを「おっといけない」と打ち切って、肉団子は笑顔に戻った。

「こんな汚い言葉、使っちゃ駄目だよねえ」

 快速列車の通過と注意喚起を促す構内アナウンスが二人の頭上を流れた。

「ほんと、麻耶ちゃんには感謝してもしきれないよ。私の愚痴まで聞いてくれたんだもん。おまけに、死ぬのまで手伝ってくれるし」

「だからいいってば、お礼は言わなくても」

 最後の望みを叶えてあげられたみたいだし。

「麻耶ちゃんは私にとって特別。唯一無二の存在。かけがえのない友達」

「うん、そうだね。友達だね」

 あと少しでお別れだけど。

「できれば、別れたくない。ずっと一緒にいたい。ずっと一緒に遊んでいたい」

 だから。

 肉団子の手が、熟練のマジシャン顔負けの速さで動いた。

 冷たく固い感触が麻耶の手首をめる。

「一緒に死んで」

 銀色の手錠が、麻耶と肉団子を繫いでいた。

 はい?

 事態が吞みこめない麻耶を、肉団子がぐいぐいと引っ張る。とつに後方へ体重を乗せて抵抗するが、肉団子のりよりよくは思いのほか強い。ブーツのソールが床をがりがり削る。手の中から紙バッグが滑り落ち、動物のぬいぐるみが床に散らばった。

「ちょっと、何すんのよっ

「死のうよ一緒に死のうよ麻耶ちゃん 仲良くトマトみたいに潰されちゃおうよ、首も手も足も内臓も脳みそもおしっこもうんちもレールに全部ぶちけてさあ

 肉団子の細い眼はいっぱいに見開かれ、口の端からよだれの飛沫が飛んだ。

「やめてってばっ

 周囲の客達はざわつきながらも、誰ひとりとしてその場から動こうとしない。スマートフォンを顔の前に掲げて撮影している連中までいる。

 肉団子と麻耶の命が懸かった綱引きを物見高く見つめる、無数の瞳とカメラレンズ。

 撮る暇があるなら、手を貸してよっ

 絆創膏を貼りつけた手の甲に血管が浮き上がる。ふくらはぎりそうなほど痛い。背中はがちがちに強張り、呼吸が辛い。少し気を抜いただけで、一息にホーム下へ引きずりこまれてしまいそうだ。

 肉団子が「ふんっ」と一声、上体をぐいっとけ反らせた。

 踏ん張っていた麻耶のかかとが、ずるっと滑る。

 あ、これ死んだかも。

 まもなく四番線を快速列車が通過します。お足元の白線の内側まで

 麻耶の体が後方へぐいっと引き戻されるのと、快速急行が耳をつんざくほうこうを発したのとはほぼ同時だった。

 ホームからはみ出した肉団子の顔に、先頭車両がみついた。

 破砕したがいが眼鏡もろとも車輪にり潰される音を、巨獣のぎしりが搔き消した。

 手錠で繫がったまま、肉団子と麻耶は硬い床の上を転がった。

 顔を失った肉団子の肥満体は死を拒否するかのように、床の上で不細工にびくんびくんとけいれんのダンスを踊る。辛うじて数本の前歯が残った下顎から気泡混じりの血が止めどなく吹きこぼれ、お嬢様校の白いブレザーを赤く汚した。

 悲鳴とうめき声があちこちで湧くのを、麻耶は横倒しのままで聞いた。

 胸の内側で、脈動が忙しく跳ね回る。

「大丈夫ですか?」

 摑まれたままの両肩を揺すられた。

 誰だろう、この人?

 ほっそりした青年が、麻耶の顔を覗きこんでいた。


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この世で最後のデートをきみと 小説:坊木椎哉
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