ジャンプ・ノベル × 少年ジャンプ+ スペシャルコラボ ジャンプ・ノベル × 少年ジャンプ+ スペシャルコラボ

 黒川夢乃から逃亡中だった。
 ここ数日で奴は中学校の校舎に慣れたのか、どこへ逃げても黒川に捕まってしまう。
 捕まると馬鹿力でしがみつかれ、耳や首筋を舐められたり、服の中に手を突っこまれてまさぐられたりするのだが、いい加減ノイローゼになりそうだった。
 なんとかして逃げようとした結果、俺は窓から外へと跳んだ。
 マナー的にはかなりよろしくない真似だし、大人は絶対に危険だからやるなと言うはずだが、背に腹は代えられない。
 二階の空き教室の外に、水飲み場や花壇で囲まれた狭い空間があったので、俺はそこ目がけてジャンプした。
 着地してから気がついたのだが、どうやらそこは保健室のすぐ外だったようだ。窓を通して中を見てわかった。
 窓の中にはカーテンで仕切られ、ベッドが置いてあり、そしてそこに。
俺を見て目をまんまるくしていた女の子の姿があった。
 髪の毛を片側だけ結んだ、垂れ目のおっとりとした印象の人だった。驚き、固まっている。
槍牙「……どうも、すみません」
 二階から飛びおりるという危険行為を見られた気まずさに気が引けて、つい謝ってしまう。
 しかし彼女は咎めることなく、ふんわりと微笑んだ。
???「こんにちは。私は友原小笛。保健室の主なの」
槍牙「……保健医の先生、ですか?」
 途端、彼女がぷううっ、とほほをふくらませてにらみつけてくる。
小笛「そんなに老けてないもん。ちょっと入りびたっているだけだもん」
槍牙「……ごめんなさい」
 弁解をしているとようやく、彼女はすねた顔を破顔一笑に変える。
小笛「先輩って呼んで。あ、下の名前がいいな」
槍牙「……小笛先輩、でいいんですか?」
小笛「そう! そう呼んで! えへへへー」
 品のある雰囲気なのに、妙にあどけない笑い声だった。
 上を見る。黒川もまさか窓から出たとは思わなかったようで、追いかけてはこなかった。
 ふー、と息をついて休むことにする。
小笛「君はなんて呼べばいいの?」
槍牙「あ、斉藤槍牙です。『斉藤』とか、なにかテキトーに」
小笛「じゃあ『斉藤くん』かな? ねえ、怪我とかしていない? 手当てしてあげるよ。ほらほら、中に入って」
 まくしたてられ、言われるがままに窓から保健室へと入る。
 小笛先輩は窓際のベッドで上半身を起こしていた。具合でも悪いのだろうか。
小笛「私はわりと健康のつもりなんだけれどもね。出歩いていると周りが心配するから、仕方なく保健室登校しているの」
槍牙「はあ……」
 デリケートな部分に触れたくなくて、それ以上は話題にしなかった。
小笛「座るなら隣いいよ。あ。なんなら、一緒に寝ちゃう?」
 謹んで辞退させていただくと、くすくすと小笛先輩は楽しそうに笑う。
 どうやら人のことをからかうのが好きらしい。
小笛「でも、どうして上から降ってきたの?」
槍牙「いま逃げている最中なんです」
 黒川のことを説明すると、小笛先輩はきょとんとし、ぱちくりと何度もまばたきをして確認をする。
小笛「ゴスロリ服で、乱暴者で、美人さんで、斉藤くんのストーキングをしている、斉藤くんの彼女?」
槍牙「勝手に彼女にしないでください。彼女とか妻とか、そういう関係だと言い張っているだけですから」
小笛「ふふ、冗談よ。でもその黒川さんも冗談みたいな存在じゃない?」
 確かにね、と苦笑した瞬間、ぶつっ、という音が頭上から響く。
 校内放送? 授業中に珍しいな――
黒川『斉藤槍牙くん、斉藤槍牙くん。あなたの愛しの妻が、いま放送室であなたが来るのを待っています』
 最悪だった。
黒川『五分以内にお願いね。本当は一秒でも耐えられないぐらいなのだけれど、私も頑張っているから。それと――』
 ぐん、と声が低くなった。
黒川『いまいちゃついているその女の首をはねて腹を裂いて内臓全て引きずりだして一口大に切りわけたらまた腹に詰めて焼いて犬に食わせるわ』
 …………え?
 ……なに、いまの猟奇発言。
槍牙「ってか……なんでいま女の人と一緒にいるのがわかるんだよ」
 もしかして、と思いいたる。
槍牙「……盗聴器か?」
小笛「スパイ映画みたいね、盗聴器とか」
 いや、冗談ではない。黒川は本気でそれぐらいやるのだ。
 あわてて体をまさぐるも、それらしいものは発見できない。
黒川『早く来てね。待っているから』
 ぶつん、という音がして放送が切れる。
 小笛先輩の顔を見る。呑気そうな顔つきは、たぶん黒川夢乃がなにをするかわかっていないからだ。冗談だとすら思っているのかもしれない。
 下手するとあの猟奇発言すら本気かもと思わせるだけの恐ろしさが、黒川夢乃にはある。
 俺は小笛先輩の手をつかんだ。思ったより小さく、ひんやりと冷たい。
槍牙「逃げましょう! 黒川が来ます!」
 ところが小笛先輩は動かない。少し驚いたような顔つきで俺の手を見て、固まっていた。
 その様子を見て俺は、つい手をにぎってしまったことに気づき、あ、と手を離す。
槍牙「す、すみません。思わず……」
小笛「ううん。斉藤くんの手、大きいなって思っただけよ」
 にっこりと笑って小笛先輩が首を横に振る。可憐という言葉の似合う仕草だった。
小笛「逃げたいのは山々だけど、いまはちょっと都合が悪いの。また今度、一緒に逃げましょうか」
 くすくすとからかうように笑う小笛先輩に、はあ、と俺は力なくうなずいた。
 あまりの猟奇発言に俺は動揺してしまったが、小笛先輩の笑顔で頭が冷える。
槍牙「……そうですね」
 黒川のところに行くか。それが一番、小笛先輩に害が及ばない方法かもしれない。
小笛「それじゃ、またね。また絶対、来てね」
 小笛先輩が手を振る。ええ、と応じて、俺は保健室を後にした。
 五分後。
黒川「槍牙くんってば、遅かったわね」
 放送室を「夢乃と槍牙のらぶらぶラジオ」という垂れ幕で飾って改造した黒川と、俺は会いたくもないのに再会するのだった。
 なお例の猟奇発言については。
黒川「全校への放送を思いついたときから、是非言っておくべきことだと思ったのよ。私の槍牙くんに色目を使った女は、何者であろうとぶち殺す、という意思表示。宣言よ」
槍牙「……こっちは本気で焦ったんだぞ」
黒川「ということは槍牙くん。逃げている間、女と一緒にいたのね?」
 それからの拷問はあまり思いだしたくないが、小笛先輩のことはかろうじて言わずに済んだことだけは自分を誉めたいと思った。
 ああいう穏やかな時間を過ごせる相手というのは、すごくありがたいものだったから。