絵が上手くなりたい人へ
上達に必要なこととは

藤本:絵が上手いと説得力になるじゃないですか。「まあまあ」の上手さのレベルだと僕の想いが漫画に込められないと思っているので、上手くならなきゃと…。あと上手くなれば描くスピードがあがると思うので、沙村先生みたいに絵が上手くなりたいです。

沙村:絵が上手くなると描くのが早くなるというのは技術的にはそうなんだけど、身体に無理がきかなくなってきますね(笑)。最近は目も疲れてきて。俺が20~30代の時だったら『波よ聞いてくれ』ももっと綺麗に描けていると思います。今年で47になったんですけど、なんで最近こんなに目が疲れやすいんだと。35を過ぎると、面白いぐらいに5年刻みで身体にガタがくるんです。こんなこと言われてもどうしようもないかと思うんですけど(笑)、とにかく若い時に描きたい漫画を描いておいたほうがいいです。

藤本:どうやったら沙村先生ぐらい上手くなれるんですかね?本当に心の底から思っているんです。何か沙村先生が代々受け継いでいるものとかあって、僕に伝承するってなったら授かるつもりでいます。そんな気持ちで今日来ました。

沙村:(笑)。確かに言われると、息子でもおかしくない年齢差ですよね。伝承とか、残念ですが何もなくて(笑)。

藤本:絵が上手い人を見ると、なんかズルしてるんじゃないかって思うんですよ。1回人生やり直して、とか。じゃないと到達できないところにいるような人が僕にとって何人かいて、それが沙村先生とかなんです。沙村先生が1番です。ほかですと、キム・ジョンギ先生です。人生のうちの何かを捨てて、絵を描く時間を増やしているんだろうなって。

沙村:あの人はおかしいですよね(笑)。描いていた位置から離れて、突然パースがついたところを描きだしたり。普通に絵が上手い、というのでは説明できない上手さですね。

藤本:僕の中では沙村先生もそういう部類ですけど…。

沙村:いやいや、俺は全然(笑)。

藤本:僕は小さい頃から絵はよく描いていましたが、沙村先生は小さい頃からずっと上手かったんですか?

沙村:上手かったかどうかは分かりませんけど、小学校でポスターっぽいものを任されたりとか、文集の表紙任されたりとか、そういうのはありますね。

藤本:絵の練習とかした時期ありますか?予備校の時ですか?

沙村:美術の予備校に行った時に一番画力が上がりましたね。よく漫画家志望の人で“絵が上手くなりたいから美大に行こう”みたいな人がいるけど、「美大に行っても絵は教えてくれないから美術予備校に行きなさい」って言いたいです(笑)。

藤本:そうですよね。僕も大学は油絵学科だったんですけど、AO入試で入ったのでデッサンしたことがなかったんですよ。今もデッサンは数回しかしたことないんですけど。特に油絵なんて感覚的なものに任されちゃうから、絵なんて上手くならないですよね。

沙村:そうですね。確かに、油絵描くよりもデッサン描くほうが大事かもしれないですよね。美大って絵の課題を出されたら一週間とか二週間とか描かされるじゃないですか。ところが美術予備校って二日で一枚とか一日一枚とか描かされて、描かされる枚数が結構大変で(笑)。予備校時代は時間との戦いでしたね。あと自分のレベルを上げるのって、周りにどれくらい上手い人がいるかで違いますよね。美術予備校とかで、たまたまその時に有能な生徒が総合で何人いたかでレベルが決まったりして。講師も大事なんだけど。

藤本:それですよね本当に。自分より上手い人がいると悔しいですからね。

沙村:上手い人がいると悔しいけど、その人を見て描けばいいわけだからね。

藤本:僕の周りには予備校が無かったので、おじいちゃんおばあちゃんが通ってる絵画教室に通って、隅っこで油絵を描かせてもらっていました。僕はその頃全然絵が上手くなくて。上手くなり始めたのは大学生の頃でした。周りに上手い人が何人かいたので、「四年間でこいつらより上手くならなければ、俺はもうこいつらを殺す」って覚悟で、絵が上手いまま野放しにしてたまるかって思って描いていました。そのあと、油絵描いてても絵が上手くならないので、図書館にこもってずっとクロッキー的な絵を描いていたんですけど…、やっぱりデッサンするべきでしたね。全然デッサンしてないので、それが本当に悔しいです。連載終わった後、デッサンします。

沙村:大幅に絵を変えるのとか無いかぎり、普通に絵を描くだけの時間は特に必要ないと思いますけどね。

藤本:本当ですか?僕、連載終わったらアニメーターになることも考えていて。絵が上手いなと思う多くの方がアニメーターなので、アニメーターになればいいんじゃないかなと思ったんですけど、言うと馬鹿にされるから…。『日本アニメ(ーター)見本市』というのがありまして、そこで沢山作品を見られるんですけど、すごい作画を見るとどうやって動かしているんだろって思って。この画力があればなんでも描けるじゃないかと。だからアニメーターになろうと思っていたんですけど、それは違うってみんなに言われて。

沙村:アニメーターに求められるものと漫画に求められるものって違う気がしますけどね。『釣りキチ三平』を描かれた矢口高雄先生の短編集とか拝見して、本当に日本の田舎の背景を描くのが上手くて。もちろん写真とかじゃないんですよ。ほれぼれするほど綺麗なんです。ペンで表現するために「ペンをこう動かす」って技術を駆使して、「背景をこう表現するんだ」と。そういう上手さを見てると、うっとりと見惚れてしまうんですよね。自分としてもそういったことをやりたいと思っています。
かと思えば、手間と膨大な自己犠牲の上で成り立って出来上がっているものなんですけど、三浦建太郎先生の『ベルセルク』のような、本当にゲロ吐くような描き込みを見て、すげえなって。漫画の絵って、こういう凄さが確かにあるんだよと。

藤本:僕の机の周りに沙村先生の作品が置いてありまして、大体いつも見ながら描いているんですけど、原稿がやばいって時だと見る余裕が無くて。全然真似できていないんです。人物の構図も余裕がなくて。凝った構図ですとページをめくる時に迫力があって、それだけで絵になるんですけど、下描きから時間を使ってしまうので無理だなと悔みながら…。本当はもっと雪もちゃんと描きたいんですけど、時間がなくて。人間がしゃべる時に吐く息も、本当は白くしたいんですが締め切り1日前とか死にそうになりながら描いていて、「もう俺も吐く息白くなくていいや」って思っちゃって。だめですよね。妥協しまくっていてすごく残念です。

沙村:「こうしたかったのにこうできなくて残念だ」という気持ちをずっと覚えていれば、いつかきっとできるようになりますよ。 今の連載が終わって次を始める時には、絵が必ず1枚脱皮しているはずですから。何も考えずに無神経になってしまうよりは「こうしたかったのに悔しい」と思っているほうがずっといいですよ。

藤本:思い続けます。…あと手癖も気になっていまして。

沙村:それこそ、俺と同じ年代の作家の多くは『AKIRA』の影響を受けているんですよ。そこからプロになった時に、“いかにして大友克洋の呪縛から逃れるか”と考えるんです。俺の同人誌時代の作品とかペンで描いた作品は、本当に大友先生のパクリみたいですよ。癖を抜かなきゃと思って、『無限の住人』の第1話である投稿作はわざと筆ペンとか鉛筆で描いて、『AKIRA』では使われなかった画風にしたんです。こうやって、いずれ必ず癖を抜かなきゃいけなくなる時が来ますから。 それに、「誰かの絵柄に似てる」とかすでに無いと思いますよ。藤本さんは二瓶勉さんの影響もありますよね。あまり大げさに表情をつけず、ドライな怖さというか。

藤本:そうです、そこ意識していまして。描き込みの具合とか『ABARA』の時が一番好きで。

沙村:そういったいろんな好きなものが入っていて、独特の気風になっているからもう良いと思いますよ。そして一番始めにも言いましたけど、月刊誌の作家が週刊誌の作家にアドバイスできることなんて何にもないんです。今日言った絵に対するこだわりとかも、時間があってこそ考えられることですから。1週間で1本漫画をあげなきゃいけないってなったら、俺も考えられませんよ(笑)。

藤本:いやいや本当にもう、勉強になりました。ありがとうございます。…僕お金払ったほうがいいですね。

藤本先生が描いた万次と沙村先生が描いたアグニを、藤本先生が合成。合成後、万次の左手の刀がアグニの腹部に食い込むよう藤本先生が加筆し、完成。