箏曲と体操という異なる題材で高校生たちの眩い情熱を描き出す『この音とまれ!』『ムーンランド』。アシスタント時代から交流を続けてきた両先生に、部活漫画や群像劇の魅力を語って頂いた!

群像劇の魅力は多様な視点!

――両作品とも「部活」という場の群像劇ですが、描く上での楽しさ、難しさをお聞かせ下さい。

山岸 物語は一般的に、主人公として目立つ人が中心に描かれますよね。でも私は彼らを取り巻く「その他の人」に共感しがちです。群像劇はそういったキャラも拾い上げられるので楽しいです。ただ、読者は主人公のキラキラした活躍を見たいはずなので、自分の趣味ばかりではなくバランスも取らないといけないですね(笑)。

――ちなみに山岸先生は『ムーンランド』の誰に共感しますか?

山岸 えー…共感と言われると、さくらが人のことばかり気にしてコンプレックスを感じているところとか、ミツが人の輪に入れずに自分だけ別の場所にいると悩むところとか…そういう部分は自分の中から出てきたと思っています。

他者との関係に戸惑うミツ。多かれ少なかれ誰しも持つ悩み…。

アミュー 意外ですねー。私から見て山岸さんは、どんな仕事場でもスッと馴染める滅茶苦茶対人スキルが高い人なので。まさかそんな風に考えていたなんて。

山岸 でも、こういった感情はきっとみんなが持っていると思います。…「その他の人が好き」と言っておきながら、全然繋がらない話になって申し訳ありません(笑)。

アミュー 私が群像劇で好きなのは、いくつもの感情を描くことができることですね。ある事柄について、自分の中には「こういうのも好き」「逆にこれも好き」と色々な考え方があり、それを各キャラに振り分けて提示できるのは楽しいです。でも『この音とまれ!』はメインキャラが増えて、全員を追うのが大変で…。登場人物が多い作品が、途中から仲間が分かれて別々に話が進むことがありますが、「こういうことなのか!?」と実感しました(笑)。

キャラが増えるほど、視点や言動の組み合わせは広がる。

山岸 メイン全員にカメラを向けるアミューさんは大変ですが、読む側からすると、みんな違う考えを持っていることが伝わってきて、その幅広さがいいなぁと思うんです。

――両作品とも登場人物は普通の高校生ですが、キャラクターのリアリティはどのように考えていますか?

アミュー リアルに描こうという考えはあまりなくて、不良がお箏を始めるとか『この音とまれ!』の序盤は特に漫画的だと思っています。私がエンターテインメントに求めるものは「リアルはリアルで経験すればいいから、それよりも夢を見たい」です。ただ、ご都合主義だと「こんなのは物語だし」と醒めるので、読者が主人公たちを応援して、最後には「よかったね!」と思ってもらえるように積み上げていく感じですね。きっと山岸さんもそうだと思いますが、試合で上手くいく・失敗するのバランスが難しいですよね。毎回成功しても醒めるし、失敗ばかりだとストレスが溜まるし。どれくらい溜めてどこで弾けさせるか。ここは計算と自分の感覚ですね。

山岸 連載を始めるまでは全然分からなかったのですが、今は実感しています。辛い話が長ければその分、成功した時の盛り上がりは確実なのですが、やり過ぎると読んでいて苦しくなって意味がない!

――ご自身の部活や高校生活の思い出で、作品に反映されているものはありますか?

山岸 中学高校はずっと文科系の部活、大学ではサンバサークルで楽器を演奏したりしていました(笑)。そもそも運動部に入ったことがなくて、部活の雰囲気とか想像で描いています。ほとんど漫画から得た知識ばかりです。

アミュー 想像にしてはリアリティがあって、一緒に青春を過ごしている感じがしますよね。山岸さん、やっぱり想像力が逞しいんですよ!

山岸 実際に体操部を取材して、他の運動部と大分違う印象を受けました。漫画では団体競技として描いていますが、「個人がいかに競技に向き合うか」という面が強くて。皆さん静かに自分の技術を突き詰めていて、そこが私は好きなんです。

チームの勝利も己と向き合った結果。体操ならではの独特のスタンスだ。

アミュー 「自分と向き合って、今の自分を超える」というのは私たちの仕事にも通じますね。私は中学の時、1年間だけ陸上部に入りました。お箏の大会にも出ていたので、個人競技ならチームには迷惑をかけないのでは…と思っていたのですが、練習がすごい厳しくて。

山岸 部活ではお箏はやらなかったんですか?

アミュー ええ。お箏は親元で習っていました。同い年の人も多かったので、団体のお箏はその頃からやっていましたね。